別府・太陽の家が新資料館 共生社会、体験して学ぶ

バスケットボール用車いすを試すこともできる(8月3日、大分県別府市)

バスケットボール用車いすを試すこともできる(8月3日、大分県別府市)

大分県別府市の社会福祉法人太陽の家は障害者の社会復帰と自立に一生をかけた創設者、中村裕医師(1927~84)の足跡を振り返る新たな歴史資料館を7月に開設した。障害者が生活や仕事、スポーツで使う道具に見学者が触れ、共生社会について深く学べる体験型施設になっている。

別府市北部にある太陽の家は10月で開所から55年になる。障害者の生活や就労を支えてきた。長野恭紘市長は「温泉、海外からの留学生を含む学生と並ぶ別府の宝」と長年の活動をたたえる。敷地内に設けた「太陽ミュージアム~No Charity,but a Chance!~」は中村医師が訴え続けた「保護より機会を」の理念を施設名に盛り込んだ。

太陽ミュージアムの開所式典であいさつする社会福祉法人太陽の家の山下達夫理事長(中)。(右)は長野恭紘別府市長(7月3日、大分県別府市)

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太陽ミュージアムの開所式典であいさつする社会福祉法人太陽の家の山下達夫理事長(中)。(右)は長野恭紘別府市長(7月3日、大分県別府市)

東京パラリンピックもにらんで共生社会に関する情報発信を強化しようと、展示用に旧資料館の5倍弱の広さ(680平方メートル)を確保した。3億円強の総事業費は自治体からの補助金やクラウドファンディング、寄付などでまかなった。

展示室の入り口を左に進むと、中村医師ゆかりの品々が並ぶ。初期の屋内用電動車いす、車いすユーザーも扱いやすいオフセット印刷機などだ。それに続く壁面パネルを見れば法人の歩みを時系列で知ることができる。

事業は中村医師が企業の療養所跡地を買い取って始め、直木賞作家の水上勉氏が「太陽の家」の名付け親となった。「オムロンの社憲にも沿うことなので一緒にやりましょう」(立石一真氏)、「ホンダもこういう仕事をやらなきゃだめなんだ」(本田宗一郎氏)。理念に共鳴し、太陽の家と共同出資で障害者雇用の会社を興した経済人らの思いも伝わる。

障害者の働き方や暮らしを疑似体験できる点もユニークだ。例えば障害者用の治工具で部品が作れる。「日本の障害者スポーツの父」と呼ばれる中村医師にちなみ、車いすレーサーやバスケットボール用車いすに乗り、パラ種目の球技「ボッチャ」を試せるコートもある。屋外には段差や傾斜、凹凸のある路面を車いすで進む難しさを体感できるゾーンも設けた。

社会福祉法人太陽の家の山下達夫理事長(8月3日、大分県別府市)

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社会福祉法人太陽の家の山下達夫理事長(8月3日、大分県別府市)

「視力が落ちた人は眼鏡をかければ社会参加できる。同様に障害があっても道具を使えば普通に仕事や生活ができる」。自らも障害者の山下達夫理事長は話す。太陽の家の拠点や大分、愛知、京都に8ある共同出資会社、別府の協力企業で合わせて約1100人の障害者と約800人の健常者が共生する。「ダイバーシティー」の手本を学ぼうと、太陽の家には年約9千人が見学に来る。

太陽ミュージアムは現在、新型コロナウイルスの感染再拡大を受けて一時閉館中だ。ただ、一般公開の開始から20日間で約400人が訪れ「上々の滑り出し」(山下理事長)だった。四ツ谷奈津子館長は中村医師の最晩年に太陽の家で働き始めた。「中村医師の思いをしっかり伝えたい」と再開の日を待っている。

(大分支局長 松尾哲司氏)

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