西表島独特の塩づくり 100年ぶり復活までのドラマ

東洋のガラパゴスと称される西表島

東洋のガラパゴスと称される西表島

沖縄県八重山諸島の1つで、沖縄本島に次いで2番目に大きな離島である西表島。この島では古くから独特の製法で塩が作られていたが、いつしか途絶えてしまった。それが約100年ぶりに復活するに至るまでのドラマを今回は紹介したい。

石垣島からフェリーで約40分ほどの場所に位置するこの島の人口は2300人ほど。周囲約130キロメートルの島の面積の約9割が手つかずの亜熱帯性の原生林に覆われている。島内には、国の天然記念物にもなっている日本最大のマングローブ林が群生し、森には天然記念物、イリオモテヤマネコやカンムリワシ、セマルハコガメなどの希少生物が数多く生息し、独自の生態系が築かれ、それらを目当てに島外から多くの人がやってくる。

豊かなのは緑や生き物たちだけではない。川などを通じて流入した大地のミネラルが、美しく豊かな海を育てると言われているが、まさにその通り。豊かな自然に恵まれた西表島周辺の海域には、日本最大の珊瑚(サンゴ)礁域が広がる。晴天の夜には夜空を星が埋め尽くし、まさに「星の数ほど」という表現がぴったりくる。手つかずの自然や独自性が、「東洋のガラパゴス」とも称されるゆえんだ。

塩は元来、調味料としてだけでなく、人間の生命維持にも欠かせない。この島でも塩づくりが行われてきた。島の奥地に位置する祖納地区では、約100年前まで海辺で塩づくりが行われていた痕跡が残る。口頭伝承で文献はないが、製塩方法は独特だったようだ。

まず、遠浅の海の中に鎮座する巨大な岩が、強烈な太陽の力で熱せられる。そこに海水をかけ、蒸発させて濃縮塩水を作るのだ。その後、濃縮海水を森の中にある崖の下まで運び、薪で釜を炊き、ぐつぐつと煮詰め塩にしていたらしい。約100年たった今でも、高温の薪の熱に長い間さらされ続けた岩肌には、火のあとがくっきりと残るのが確認できる。

海岸から約20メートル離れた遠浅の海の中に鎮座する高さ約2メートル・長さ約10メートルの巨大な岩に上ってみた。上部はまるで天然のプールのよう。少しくぼんでおり、岩と岩の微妙なズレの部分が濃縮海水が流れ出るちょうどよいルートになっていた。

それなりの高さなので、海水を桶(おけ)でくみ、持ち上げて岩にかけ、濃縮された海水を再び桶で海岸まで運ぶ作業は、とてつもない重労働だったに違いない。まして、炎天下での作業なら、その負荷は計り知れない。

この製法では、さすがに生産量が少なく、島内の塩需要を満たすのが難しかったのだろう。島外から流入してくる塩を徐々に購入するようになり、約100年前に製塩が途絶えてしまった、と考えられている。

約100年ぶりに西表島での塩づくりを復活させた藤本健さん

途絶えた塩づくりを約100年ぶりに再開したのが昨秋、本州から移住してきた藤本健さんだ。この島に限らず、離島での塩づくりは島外からの移住者によって行われることが少なくないが、地元民の理解と協力を得るのはなかなか容易なことではない。離島には、どうしても保守的なところがあるからだ。

藤本さんは西表島での塩づくりを実現するために、家族を石垣島に残し、単身で西表島に移住。祭りなど地元行事に積極的に参加しコミュニケーションを深めてきたことで、島民の理解を得ることに成功。地元の協力者と一緒に半年間かけ、自前の製塩所を作り上げた。

前職が理化学系メーカー勤務だった藤本さんは、その知識と経験をいかし、西表島で初となる逆浸透膜と耐塩性の高いステンレスの平釜を導入。

同時に太陽と風の力だけで海水を結晶化させる天日結晶ハウスも建て、釜炊き塩と天日結晶塩の2種類の塩の製造をスタートさせた。釜に火を入れる「火入れ式」には周辺住民も多く参加した。今では地元の祭りの際の清めの塩も、この塩が使われるようになった、と聞いた。

原料となる海水は、公民館の所有地であるブサシ浜で、許可を得て取水している。神聖な場所での取水が許されるのも、藤本さんが地元に受け入れられている証拠だろう。海水を入れたタンクを1トントラックで製塩所まで運び、逆浸透膜にかけ、海水と淡水を分離させ濃縮海水をつくる。この膜を通すことで海水中の不純物を除去することで、塩の安全性を高めている。

熱効率をよくするために、濃縮した海水を黒い箱に入れて釜炊き塩をつくる

釜炊き塩の場合は、濃縮した海水を高温蒸気の熱で温められたステンレス製の釜に入れ、時間をかけて煮詰めて結晶させていく。釜は常に海水が流動し、むらなく熱が加わるよう設計されているので、均一で美しい凝集晶ができあがる。

天日塩の場合は、濃縮した海水を結晶ハウスに並べたA4サイズほどの黒い箱の中に入れてつくる。箱を黒にすることで熱効率が良くなる。結晶ハウスの中は夏場、温度が70度ほどになり、長くはいられない。朝夕の少し涼しい時間帯に塩の様子を見ながら、太陽と風の力だけで約1週間かけてじっくりと結晶させていく。できあがった塩は単結晶の美しい立方体で、直径約5ミリ。収穫後、天日でしばらく乾燥させ、1粒1粒より分け、ようやく製品に仕上がる。

高度な技術を持つ藤本さんだが、時には納得いかない塩ができあがってしまうこともあるという。そんな時は再びそれを海に戻し、イチからやり直すという。

西表島の海をイメージして開発された、塩で食す塩寿司

製塩は基本的に1人で行っているが、藤本さんには力強い協力者がいる。地域おこし協力隊として西表島に移住したテイアキヒコさんだ。地域おこし協力隊とは、総務省の地方創生のためのメニューで、派遣された地域外の隊員に地域活動を通じて定住・定着を図り、地域力の維持・強化を図ろうという制度だ。

テイさんは2019年に西表島にやってきて、島内の産業を支援したり、島ならではの魅力を島外に発信したりしている。西表島で約100年ぶりに復活した塩づくりに魅力を感じたのが、藤本さんを応援するきっかけになった。

テイさんは料理が得意で、藤本さんも実は調理師専門学校出身。そのため、2人は西表島の塩と食材を使ったメニュー開発にも知恵を絞る。とある日に開催された「男だらけの塩料理教室」で提供されたメニューはこうだ。西表島で獲れた猪(いのしし)の肉を使った「猪肉のスーチカー(塩漬け)」、そこに島内に自生する月桃の葉を加えた「猪肉の月桃葉味噌包み焼き」。海辺で摘んだアーサー(青のり)を用いたゼッポリーニなど、レストラン顔負けのメニューが並んだ。釣りが趣味のテイさんは、西表島の塩で食す塩寿司などの研究にも余念がない。

塩は、製法によって結晶の形や含まれるミネラルバランスが異なり、釜炊き塩と天日結晶塩で味が大きく変わる。西表島の塩釜炊きは、舌触りに影響するカルシウムをある程度除去されているため口溶けがよく、舌の上にのせるとふわっと溶ける。ミネラルもバランス良く含んでいるため、突き刺さるようなしょっぱさがなく、最後に口の中に柔らかい甘味が残るのが特徴。西表島でなめてみた海水そのものの味が残っているように感じる。白身魚や野菜との相性も良い。

一方、天日結晶塩は非常にパワフル。大きく育った立方体の結晶はサクサクとした食感で、力強いしょっぱさと濃厚なうまみ、甘味、そしてスパイシーさもある。牛肉や猪肉、脂ののった豚肉など、肉料理全般と相性が良い。

現在でも定期的にメニュー開発が行われており、その情報は西表島の塩オフィシャルサイトやテイさんのブログで随時公開されている。藤本さんが手がける塩も、オフィシャルサイトの通信販売サイトから購入できるようになっている。「西表島の塩は、口のなかに残る甘味が非常に印象的。こんなに優しい味の塩があるのかと思った。鋭くとがった塩味ではなく深みのある柔らかい味なので、素材のおいしさを引き立ててくれる」とテイさん。東洋のガラパゴス、西表島で約100年ぶりに復活した塩づくりと、その塩と地元食材を使ったメニュー開発。今後の展開が楽しみだ。

(一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会代表理事 青山志穂氏)

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